母方の祖母は、東急目蒲線(現、目黒線)の奥沢に住んでいました。私がものごころついてから中学生のころまでは毎年、祖母の家に正月と夏休みに行っていました。祖父はすでに亡くなっていて、祖母は一人で暮らしていました。
私の家は埼玉でしたから、けっこうな長旅に思えました。目黒で山手線から東急に乗り換えるのですが、そのころになると「今日は何を頼もうかな」とひそかに考え始めます。
というのは、私たち親子が遊びに行くのは午前中、そろそろお昼が近づくと、祖母は決まって「お昼は出前を取ろうね。何が食べたい?」と私に聞きます。
「お寿司はどう?」とこれも決まり文句。私は寿司ももちろん好きでしたが、それよりもっと食べたいものがありました。それは「そば屋のどんぶりもの」。
埼玉の家では近くにそば屋さんがなかったので、それは祖母の家でしか食べられない「ごちそう」だったのです。
けれど祖母はかわいい孫に贅沢させたいらしく、「お寿司、どう?」と必ず聞くのです。
「好きだろ?」
「うん」と答えて、私は「だけど」と抵抗します。
「あったかいものがいいい」。それはつまり「冷たい寿司より暖かいどんぶり」というアピールです。
夏休みに行っても「あったかいものがいい」。
すると祖母は「そうだね。あったかいものの方がおいしいもんね」と私に調子を合わせてくれます。
今思うと、毎年のように同じやり取りをしていたということは、祖母は私の答えがわかっていて、わざと同じ質問をし、「いつもの孫とのやり取り」を楽しんでいたのかもしれません。
さて、そういう「儀式」が終わるとようやくそば屋の出前と決まって、それぞれ注文を決めます。
こどもの私が不思議だったのは「大人はどうして、迷うんだろう」ということ。
たとえばそれが冬ならば、「あたしはおそば。おかめにしようかな。でも、今日は寒いから鍋焼きうどんもいいね」と祖母。
「おれ、かつ丼。あ、カレーライスって手もあるな」と父。「私はきつねそば。ううん、うどんも捨てがたいわねえ」と母。
というように、ぐずぐず迷う。
それがこどもの私にはわからないのです。
私は山手線から目黒で乗り換えて、奥沢駅が近づくころにはもう、「今日は天丼」と決めているのですから。
いつも、天丼とかつ丼の二者選択でした。どっちも食べたい。
でも1つに決めなければいけない。電車の中で悩み迷った末、「今日はこれ」と一人で決めていました。
出前のあの独特の味。特に冬の出前が私は好きでした。
どんぶりの御飯が少しさめかけているからです。
これが私には「ハレの日の特別なごちそう」に感じられたのです。
祖母が出前を注文してから作ってくれる「お吸い物」も大好きでした。
具は小松菜かホウレンソウ。それに溶き卵。懐かしいです。
どんぶりについてくるお新香がまた好き。
たいがいきゅうりのぬか漬け+黄色いたくあん。
両親と祖母に囲まれて一番の好物を食べたあの茶の間。
「おいしいかい?」祖母の声が、聞こえてくるようです。
出前のどんぶりは「おばあっちゃんの味」。
幸せだったなあと、あらためて思います。